夜の虹を見た話

先日、4月19日の朝のフライトで6ヶ月働いたLady Elliot Islandを離れて、Hervey Bay空港まで来た。

島で過ごした時間はかけがえのないものとなったが、それはまだ心にしまっておくにして、その日、空港まで迎えに来てくれたのは、その島で同じく働いていたカナダ人のバックパッカーGで、Gはちょうど仕事が休みだったこともあり、一緒にキャンプをすることになっていた。

途中で昼食をとりながら、Gの車で空港からキャンプ場のある場所まで約1時間ほど走る。道路は舗装道路から荒地に変わり、それまで少しは見ることのできた民家も無くなり、ただひたすらに荒野が続いていた。

僕はふとマーティン・スコセッシが撮ったボブ・ディランドキュメンタリー映画『ノー・ディレクション・ホーム』のジャケット写真を思い出した。だだっ広い道に、僕らの車が1台だけポツンとある感じ。

Gも僕もロックミュージックが好きで、車の中ではちょうどボブ・ディランが80年代後半に参加していたバンド、トラヴェリング・ウィルベリーズの曲が流れていた。

Gの車の中ではたくさんの曲が流れたが、どれも荒野を進むのにぴったりの曲ばかりだった。Gはたまに歌を口ずさみながら、そのバンドの話や、このハーモニカソロがいいんだ、なんてことを言った。

ちょっと荒野の運転を経験させてもらったりして、そのうち小さな池を超える橋や、小高い林の中をくぐる道を通り、緩やかな傾斜を登って行くと、景色は開けて目の前に巨大なダムが現れた。

そのダムによって堰き止められた水でできた大きな湖のほとりが、僕らがその夜キャンプする場所だった。

ちょうど今、オーストラリアはイースターの休日とスクールホリデーが重なり、どこも家族連れや休暇を楽しむ人たちで溢れているのだが、さすがにこんな場所までやってくる人は少なく、指で数えられるほどのキャンピングカーがぽつぽつある程度だった。Gは休みの日にたまにひとりでここに来てキャンプをしているらしく、いつもはもっと静かなんだけど...と言っていたが、僕はなんて素敵な休日の過ごし方だろうと思った。荒野の果ての人の気配の無いダムのほとりで、鳥の鳴き声と雲の動き、太陽の傾き、その光が反射する水辺でたまに何かが跳ねるのを見ながら過ごす時間。

僕らは日が暮れるまで、近くの林の中に分け入ってハイキングをしたり、湖畔で椅子に腰かけてギターを弾いたりした。Gは僕にスペインのトランプ遊びを教えてくれた。そのゲームの名前は忘れたが、スペイン語で40を意味するらしい。(今調べたとこによるとcuarenta、クアレンタと言う。)面白い遊びで、僕も初めてながら稀にゲームに勝った。

たまに激しい雨が降り、10分もすると止む。典型的なオーストラリアの気候。僕らは雨に濡れたりしながら、日暮れになるまで遊び、夕食をとることにした。

車のトランクからクーラーボックスを運び出し、テントから離れて丘を少し登ったところにある東屋まで行き、トマト、パプリカ、赤たまねぎ、キューリとフェタチーズを一口サイズに切ってから、オリーブの練り込んであるペーストをwrapに塗って、まとめてくるんだグリークwrapを作って食べた。簡単だけど、とても美味しかった。

完全に日も暮れて、灯の無いその場所はひっそりと真っ暗になったが、その日はちょうど満月で、たまに雲の切れ間から強い光が差し込むその瞬間は、辺りがはっきり見渡せるほど明るくなった。

まだ夜7時くらいだったが、食事も済んで、最後のカードゲームも終わった僕たちは、雨が落ち着いた頃合いをみて、テントに戻って眠ることにした。

再びクーラーボックスを運びながら、雲間から漏れる月明かりの下、丘を降りてテントのある湖畔まで戻る短い帰り道の途中で、ふと湖のほうに目をやると、そこには大きな虹がかかっていた。僕は目を疑ったが、はっきりと湖の端から端にかけて広がる、完璧な虹だった。

僕はGに声をかけて、虹が出ていることを伝えると、彼も虹を見上げて息をのみ、ミチオ、こんなことってあるのか?と言った。

夜に虹が出るなんて、信じられないと思ったが、目の前に広がるそれはまさにその瞬間存在し、そして言葉通り信じられないほど美しいものだった。

雨雲は遠く流れていったようで、徐々に雲の切れ間から星たちが現れはじめ、満月はやがて完全に顔を出し、夜空は光の世界を取り戻しはじめた。そして依然として虹は暗闇に横たわるダム湖の上に橋をかけている。

僕らは驚きから感動に包まれていた。早足で荷物を車に戻すと、椅子をつかんでまた丘を登っていった。

椅子に腰かけて、虹がゆっくりと消えていくまでの間に、Gは何度も、夜の虹なんて見たことあるか?オレたちは今何を見ているんだ?と言った。僕も同じ気持ちだった。

iPhoneがポケットに入っていたが、僕は取り出さなかった。どうせ写真は撮れなかっただろう。こんな瞬間は幻のように記憶に残るもので、子どもの頃にはそんなことがよくあった気がする。夢を見ているみたいな夜だった。

翌日、Gは仕事があり、僕には先の旅があった。Gは僕をHervey Bayにあるバックパッカーズまで乗せてくれ、降ろしてくれる時にGはひとつのコインを僕にくれた。コイン刻まれているのはノーザンライツ、オーロラであるとGは説明してくれた。

硬い握手をして僕らは別れた。

この一年間、たくさんの人に会っては別れてきたが、僕らがもう一度全く同じ時間を過ごせないことは分かっている。仮にもう会えない人がいたとしても、あの日あの時あの瞬間を共有した人が今日も世界のどこかの町で生きていることを思い出す。

そんな偶然や奇跡的な日々、出会いの連続が、この美しい星の上で起きているという感慨を、夜の虹は与えてくれた。

説明トラヴェリング・ウィルベリーズ